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2007年2月

怒れる女子

 2月18日の記事のつづき。
 煽動する人には見えなかったので、〈おーちや。〉をのぞいてみた。おーちようこさんは紙媒体で主に仕事をする人で、モダンアートに強い関心があるというか自身もアーチストで、作品の〈たましいくん〉は写真を見るとやわらかそうであったかそうでユーモラスで、おーちさんの人柄そのものという印象。酒が強くてしょっちゅう飲み会をやってるらしい。たしか別府温泉の劇場の踊り子さんの神業の抱腹絶倒のレポートなんかも書いてる。明和電気の追っかけのようなことも。これだけでセンスに想像がつく。煽動するなんてことから遠く離れた人だ。でも日記をうろうろ読んでいくと、ことさら怒って見せることはしないが、世界の理不尽さへの怒りを隠したりしない人であることがはっきりとわかり、これはこれでまたおどろきだった。
 たとえば怪物じみた発行部数の新聞の書評欄は、芸事の発表会のようなもので、お行儀がよくてお上手。ほとんどの書評はそのじつ扱われた本とは関係のない自己完結したようするに中身からっぽの短い文章というべき。そういうものと、おーちさんの書評のちがいはなにか。前回引用した文章は常識的な書評から逸脱してると思うが、そんなことはどうでもよくて、『愚者と愚者』を読んだライターから、切れば赤い血が噴き出す生身の人間の言葉を返された作者としては、小説の幸せをつくづく感じたのです。.




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煽動する女子

 2月11日の記事のつづき。
『活字倶楽部』(2006秋号)に、おーちようこさんがインタビュー記事のほかに『愚者と愚者』の短いガイドを載せている。そのガイドを読むと、物語がちゃんととどいてるなと、そういうふうに物語を愉しんでくれたらうれしいなと、心から思う。

 そこには説教くさい正義なんて存在しない。
 ああ、こんなふうに潔く生きることができたらどんなにかステキだろう
。(これは椿子の生き方に関して)

 問題は最後の5行だ。

 たとえば、今、キミが今、どっからどう見ても不遇で弱者で搾取される側の立場だったと仮定しよう。世界に対して不満を抱えて生きることも自由だけれど、変えるためにがむしゃらに動き回ることだって自由。もしくは、この物語を読んで思いっきり妄想の世界で遊ぶことだって自由である。

 文章の力点は前半にある。主旨は明らかだ。不就労あるいは非正規雇用あるいはワーキングプアとひと括りにされ、おそらくヲタとか腐とか自称したりしているキミたち、この物語を読んで元気をもらったら、街頭に飛び出して暴動を起こせ、とおーちさんは煽動している、のも同然だ。おどろいた。愉快な気分になった。これでおーちさんの〈混乱〉を証明できたと思う。読んでいない人が誤解すると困るので言っておきたいのだが、『愚者と愚者』は人を煽動なんかしていない。(この項たぶんつづく)




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楽ちんなインタビューだったけど

 2月4日の記事のつづき。
 おーちようこさんのインタビューも『愚者と愚者』の販促の一環のようなもので楽ちんだったけど、最初からいつもと雰囲気がちがった。質問にこたえながら、おーちさんが小説を愉しんでくれたにちがいないと思う一方で、その読書体験がおーちさんを混乱させてもいるんじゃないかと思ったのだ。『愚者と愚者』が人を混乱させる? そのときは予想外だったのでわたしは動揺してしまった。けっこう長かったインタビューがおわるころには、眼のまえの若い女性のライターのこれまでの人生と読書の体験と、わたしのそれとの落差や乖離やズレについて、小さな感慨を抱いていた。親子ほどに年齢がちがうのだからいまさらではあるけど。〈混乱〉と書いたが、もちろん印象で、おーちさんはべつにって言うかもしれない。でもおーちさんの混乱を証明できると思う。彼女が『活字倶楽部』に書いた原稿を使って。(この項またつづく)




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わたしの小説とはじつは関係のない書評

 新聞や雑誌に載る書評は読者におすすめの本という体裁をとるから、ほとんど貶されることはなくて誉められるだけだ。悪い気はしない。手際よくまとめられた書評を読むとプロの仕事だなとつくづく思う。でも違和感がある。書評の言葉に触発されてわたしの方からなにか言葉を返したいと思うことはまずない。わたしの小説とはじつは関係のないプロの芸が凝縮した短い完結した文章がそこにあるという感じがするのだ。記憶のなかで例外を探せば、池上冬樹さんが週刊文春に書いた「時には懺悔を」(94年角川書店)の書評はちがったが、池上さんがそこで語った個人的な体験にわたしは触発されたのだから例外中の例外ということになる。やむをえない面はあると思う。限られた字数で内容と感動(?)を伝えなければならない。ほんのすこし言葉を差し替えれば別の本の書評になりかねない厳しい条件でつぎつぎと書評をものにしていくのがプロなのだろう。インタビューも事情は同じだ。わたしがとりとめもなくしゃべってもそれなりの原稿があがってくる。なるほどプロの仕事だ。ほかに感想が言いにくい。ところが、おーちようこさんにインタビューされたとき、わたしは動揺してしまった。(この項つづく)




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