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2007年3月

そっとゆすぶる書評

川畑詩子さんが[WEB本の雑誌]の 愚者と愚者(上・下)で書いている。

「舞台は東京都市部と近郊なのでイメージしやすいはずなのに、どうしても頭がついていかない」
「この作品からは、あなたの想像力貧しくない?と鋭く問いかけられている気がする」
「もっと深いものが描かれているようなのに、読み取れない感じがしてもどかしかった」

ここで表明されている違和感について、ぼんやりと、くり返し考えた。気になるのだ。わたしをそっとゆすぶると言い換えてもいい。川畑さんのぜんぜん偉ぶらない口ぶりと、率直さと、小説への敬意を示してくれていることなんかも、関係していると思う。うろうろと考えたすえに、川畑さんが抱いた違和感を、作者であるわたしはどうすることもできない、ということに気づいた。なあんだ。当たり前のことじゃないか。でも考えるってそういうことかもしれない。

殺戮と略奪と飢餓が日常であるような世界を、近未来に設定した時点で、アクチュアルな問題をすべて小説に投げ込むことになるという自覚はあった。ふつう被害者として扱われる子供と女性を、戦争に加担する主役に据え、罪を負わせ罰を与え、暴力を振るう快楽も味あわせる、ということも決めていた。だから破天荒な物語になるだろうと思った。

『愚者と愚者』に違和感を持つ人がいて当然だろう。読者の方から小説に近づいてきてほしい、などと作者が言うわけにいかない。残念ながら、すれちがったままだ。川畑さんのもどかしさも、わたしのもどかしさも、とりあえずは解消されない。




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ちょろいもさんへの回答

中央公論新社『ぼくが愛したゴウスト』を読んで、「読んでいる自分の存在すらも揺らいでくるような経験」と言ってくれた小学館のI氏は最良の読者。最悪の読者は角川書店『裸者と裸者』担当の二人のS氏。一人が「中公の編集者の意向でああいう本を?」と、もう一人は「なんであんなの書いたんですか」と平然と言い放つので、きみたちの感受性はゼロだと飯田橋あたりのバーでなじったのだが、二人ともへらへら笑うばかりでとりあってくれない。ようするに一冊の小説を読むという行為はどこまでも個人的な体験。業界の内も外もプロもアマもない。ちょろいもさん 日々のちょろいも 2nd 20050525.に「ツメが甘かった気が」とか「昇華できていない感じ」と書かれても甘受するのみ。小説は手にとった読者のもの。著者が口を出す余地はまったくない。でも、ちょろいもさんの問いかけに回答したいので回答する。

だいたいなんでシッポ┅?
なんで硫黄の臭い┅?

「尻尾と腐卵臭とくればあれですよ」
「意味がわかんない」
「性的なこと」
「あなた頭がへーん」
「あれを巧みに使えて、性的に興奮するとあれをより強く放ち、あれがないから感じてる自分を感じることができない女性に導かれて、男の子が異世界で逃避行をつづける物語というのは、はじまりからおわりまで〈性的な夢〉として構築された小説、と解釈するほかないと思いますけど」
「誰が見る夢?」
「たとえば人生の秋に立ち尽くす中年男性」
「なんて言うか┅┅えろぼけ作家?」

愛されなかった小説を愛してほしいと言っているわけではありません。




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どう読まれたのかさっぱり

 500枚の小説を書くのに準備と執筆と校正と休憩をふくめて8ヶ月ほどかかる。年に4冊出さないと世間から忘れられちゃいますよと編集者は言うが、そういうこととはべつに、また作品の出来とはべつに、わたしが膨大なエネルギーを注いだという事実はあるわけで、そうやって書いた小説が人にどう読まれたかを知りたいと切に願うのだが、これがさっぱりわからない。家の人も家の人の息子もわたしの小説に関心ないしなあ。担当編集者は一杯飲みながらいろいろ話してくれるので、それはそれでうれしいが、どう考えても彼らが最初にしなければならない仕事だ。(編集者と小説の内容について意見が衝突したまま出版しちゃった例もあるが)。新聞や雑誌に載る書評は、なんどか触れたように対象の小説とは直接かかわりのない欲望(たとえば文学史上に俺が位置づけたいとか発掘したのは俺だとか俺の芸を見せたいとか)で成立しているようなところがあって、書評を書いた人がその小説をどう読んだかはなかなか読みとれない。誤読にもとづく酷評であっても、どう読んだかがきちんと伝わってくれば、わたしはその書評に言葉を返したくなると思う。ネット上にそういう書評がないわけではないので、ぼつぼつと紹介していく予定。

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意味がわからねえと家の人の息子が言う

 新作が発売される直前の2週間ぐらいはテンションがあがる。もしかするとミリオンセラー。妄想でちょっとした躁状態。でも書店に本が積まれて1日か2日で現実に打ちのめされる。30日は落ち込む。そのくり返し。だったのだが『愚者と愚者』のときはひかくてき冷静に現実をうけ入れた。見本刷りができたころに、おーちさんのインタビューをうけて、心の準備ができたようだ。おーちさんはなぜ混乱したのか。『愚者と愚者』が読者に思考を強いる物語だから。そう思った。例外はあるにしても思考を強いるような小説なんてふつうは売れないだろう。と自分で納得。家の人の息子は、家の人にそっくりで、わたしの仕事にまったく関心がないが、本が売れないことは知っていて、売れないエンタメって意味がわからねえと言う。ほんとだ。きみが正しい。




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