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2007年10月

重要なお知らせ

読者の皆様

本ブログの主催者、打海文三(59歳)は10月09日(火)早朝に

心筋梗塞の為亡くなりました。

長い間のご愛読、本当に有難う御座いました。

                                  息子より

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菜摘ひかるを読む―071007

承前

菜摘ひかる『ボディ・テラピー』の追記

「私」の淋しさは「私」がイメクラ嬢であることに由来する
というふうに描かれている。
だがこの小説は、たとえばふつうのOLである「私」が「偽善と回避と怠惰とお金まみれでこんなに荒んだ私でも男に惚れることができるんだ」という実感を彼とのセックスでえる物語として、あるいは「気まぐれにこの部屋を訪れる彼の精液とその余韻」だけあれば「自分を見失わずに専業主婦のお仕事ができる」という専業主婦の「私」の物語として、書き換えが可能だ。
つまり「私」が公務員でもOLでも学生でも専業主婦でも派遣労働者でも資産家の娘でも妻でも、この小説は成立する。

おそらく「私」の淋しさは「私」が女の子であることそれ自体に由来している。
とりあえずそう考えてみる。
ただしモチーフの普遍性を、菜摘が意識している気配はない。

当時の菜摘は、いやもっと以前から、物心ついた少女時代からずっと、自分の問題と格闘するのに精一杯で、それどころじゃなかったのだと思う。


Book 愛と悔恨のカーニバル (徳間文庫 う 7-3)

著者:打海 文三
販売元:徳間書店
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詩人のからだ?

いつのことだったか記憶がまったくない。
渋谷の書店のアート関係の本棚で
伊藤比呂美の名前が眼にとまった。
ヌード写真集だった。新聞のエッセイを読み、たぶん詩もいくつか読み、
上野千鶴子の賛辞をなにかで読みまあそのていどでよく知らないのだが
伊藤比呂美という人のかなり強烈なイメージはあったので
すこしためらった。
けっきょく手にとり数枚見て閉じた。嫌な予感が当った。
見るんじゃなかったと後悔した。露悪趣味だろと思った。
狙いがなければ人間の肉体はあんなに醜く撮れないはず。

写真集のタイトルもおぼえていない。けさふと思い出して調べてみた。

手・足・肉・体―Hiromi 1955 Book 手・足・肉・体―Hiromi 1955

著者:石内 都,伊藤 比呂美
販売元:筑摩書房
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これだと思う。撮影時の年齢は39歳。じゅうぶんに若い肉体のはず。
この表紙だけ見るとそうでもないが感じだが
じっさいはひどい露悪趣味。
写真を撮った石内都がまた強烈な個性の人。

石内都のインタビューから抜粋。http://www.imagef.jp/interview/library/010/index.html

「傷という物語」

続いて男の人の手と足を撮ってみたけれどつまらないのね。意外とふにゃふにゃで。それで手と足をやめて、骨格や筋肉や性器など私にないものを見たいという意識が強くなった。初めて男性のヌードを撮った時に、実は彼が大きな傷を持っている人だった。彼は傷の話を延々とし始めて、傷って物語があるし、語るという意味で現実のものだなと考えた。
(略)
私にとって暗室の作業というのは、性行為に近いんです。そういう気分があるわけ。撮影は淡白だけど、暗室ではねちっこい。赤いランプの光と毒の薬品に浸かる淫靡さというのかな。


あの詩人とこの写真家でなにが生まれたにせよ
わたしは二度と見たくない。
見たいっていう人をとめやしませんが。


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素顔のさらし方

フリーダムランド DVD フリーダムランド

販売元:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
発売日:2007/07/25
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【ストーリー】
ある日、手を血まみれにした女性ブレンダが病院に現れた。彼女は子供が誘拐されたと証言するが、目撃者もなく、さまざまな疑惑が渦巻いていく。果たして真実は?刑事ロレンゾが捜査するにつれて明らかになる真相、そして最後には衝撃的な結末が……。

【スタッフ&キャスト】
《製作》スコット・ルーディン
《監督》ジョー・ロス
《脚本》リチャード・プライス
《出演》ジュリアン・ムーア、サミュエル・L・ジャクソン、イーディ・ファルコン

ミステリーというよりもヒューマンドラマという印象。
ドラマの背景にあるアメリカの人種対立を考えてみる。
そこには絶望しか見出せないだろう。
だが生きていかなければならないのだとしたら、
絶望のなかで希望について語るという困難な生き方しか選択できない。
というのはひとつのありふれた創作態度だ。
この言い方が妥当かどうかはべつとして
徹底的に考え抜かれた創作態度が必要なはずだが、
この映画にそんなものはない。
あんな手ぬるい暴力描写では絶望を提示できない。
黒人にも善と悪が同居し非黒人にも善と悪が同居し
などという映画屋さんがルーチンとしてやる気配りなんかでは
絶望も希望も描くことはできない。
ふやけた構想力の帰結として
ふやけたラストシーンがある。
ここでも唯一の救いはジュリアン・ムーアの
シミ・そばかす、それがどうした
という素顔のさらし方だ。



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著者:打海 文三
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麦の春化と立川市のYさん

コラムやアンケートで八ヶ岳の百姓時代の話をちょこちょこ書いていたら、20年まえのある事件を思い出した。当時、3家族で東京と甲府市の消費者グループに、野菜、米、豚肉、大豆、小麦粉、そば粉、味噌、林檎、桃などを共同出荷していた。東京都の西郊外にある立川市のグループに農産物を下ろしているときに、Yさんから「グループのミニコミ誌をつくることになったので、なにか書いてよ」と頼まれた。Yさんとはそのとき一度会っただけなのだが、ほっそりして活発そうな、専業主婦ではなく仕事を持っている雰囲気の、さっぱりした話しぶりの感じのいい女性だった。確か編集経験があると言ってたと思う。

わたしが書いたのは〈麦の春化〉である。以下はweblioの生物学辞典から引用。

春化

同義/類義語:春化処理
英訳・(英)同義/類義語:vernalization

植物花芽形成などが低温処理により促進される現象

北海道の一部をのぞいて麦は秋に播く。これは秋播き用の品種である。春播き用の品種というのもあって、冬の寒さがきびしい地方ではこちらを播く。秋に播いた麦は冬の寒さが引き金となって生殖成長がはじまる。これが春化である。この秋播き用の麦を春に播くとどうなるか。必要な寒さがこないために茎葉が茂るだけで穂は出ない。というような内容の文章の最後を、ようするに秋播き用の麦を春に播くといつまで経っても「月経が始まらないというわけだ」*1と書いた。

東京へ配達にいく友人に原稿を渡し、後日、ミニコミ誌をうけとった。原稿の最後の一文が無断でカットされていた。わたしはただちに八ヶ岳のぼろをまとったむさくるしい野郎どもに事情を話しみんなで腹を抱えて笑った。その後、Yさんは二度とわたしのまえに姿をあらわさなかった。それでますますYさんの好感度がアップして今日に至っている。

*1「静かで、ほとんど物音もせず、ごくわずかの人間しかいない界隈で、ここでは娘たちは一年おくれても月経が始まらないというわけだ」ポール・ニザン『アデン アラビア』

 粗野で愚鈍で急激に春化されつつあった19歳のわたしは『アデン アラビア』を読み、どういうわけか有名な冒頭の一文とともにこのフレーズを鮮烈に印象づけられ、Yさんに原稿を頼まれたときにすらすらと書いたのだった。


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訂正

12月に文庫化されるのは「裸者と裸者」上下巻だけです。
「愚者と愚者」の文庫化は来年秋の「覇者と覇者」刊行前後を予定
だそうです。
わたしの聞き間違えらしい。
単行本にさっさと見切りをつけて文庫化するのかと
思ってました。
情報を混乱させて申しわけありません。

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