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菜摘ひかるを読む―071007

承前

菜摘ひかる『ボディ・テラピー』の追記

「私」の淋しさは「私」がイメクラ嬢であることに由来する
というふうに描かれている。
だがこの小説は、たとえばふつうのOLである「私」が「偽善と回避と怠惰とお金まみれでこんなに荒んだ私でも男に惚れることができるんだ」という実感を彼とのセックスでえる物語として、あるいは「気まぐれにこの部屋を訪れる彼の精液とその余韻」だけあれば「自分を見失わずに専業主婦のお仕事ができる」という専業主婦の「私」の物語として、書き換えが可能だ。
つまり「私」が公務員でもOLでも学生でも専業主婦でも派遣労働者でも資産家の娘でも妻でも、この小説は成立する。

おそらく「私」の淋しさは「私」が女の子であることそれ自体に由来している。
とりあえずそう考えてみる。
ただしモチーフの普遍性を、菜摘が意識している気配はない。

当時の菜摘は、いやもっと以前から、物心ついた少女時代からずっと、自分の問題と格闘するのに精一杯で、それどころじゃなかったのだと思う。


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コメント

全く小説とは関係ありませんが、書かせてください。
今日、行けなくて本当にゴメン。ノチのときも行かないで「さようなら」を言えなかった。そして今日も言えない。君の声や口の動かし方、しぐさは覚えているのにリアリティがない現実を受け入れることができません。キヨシは昨日から来ているのでしょうね。
数年前にキヨシとともに新宿で会いましたが、君はひげが生えていたけど昔のままでしたよ。僕のように中途半端な学生時代経験をした者は、いつまでも学生時代に縛られているのでした。だからこそ、友人たちのことを忘れがたいのにこのような機会に欠礼してしまうということは、なんか、やはり中途半端なんだと自責の念にかられてしまいます。
東京から最も遠い北東北の町に居住して口惜しい限りです。そういえば、ネットで居住地を調べさせていただきましたが、そのH市は君が移住した山梨と似ているところなんですかね。僕のところも、自然だけが豊かで、狸や熊や雉が出るところで昔話はリアリティある話しだったんだと思わせる世界です。
本当に徒然に書きましたが、もう一度くらいはあって話を伺いたかったです。
最後に、本当にゴメン。

投稿: 友人として | 2007年10月11日 (木) 10時49分

初めまして、息子のチュウと申します。
本日、電報を頂いたご友人ですよね?

書いて頂いたその気持ちだけで十分です。
父もあの世できっと照れくさそうに喜んでいることでしょう。

身体にはくれぐれも気をつけて下さい。
それでは、短いですが失礼致します。

投稿: チュウ | 2007年10月11日 (木) 21時04分

はい、今日、弔電を出させていただきました。わざわざのご返事ありがとうございます。
稲城の彼のご実家にも泊まらせていただいたことがあります。その時の事も強烈な印象として僕の脳裏に焼きついています。
お父様が亡くなられて寂しいでしょうが、どうぞご自愛ください。

投稿: 友人 | 2007年10月11日 (木) 21時51分

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